55,963,000人、大卒サラリーマンの初任給(月給)は50~60円、米の値段は一升(1.8L、約1.5kg)が50銭。 1920年(大正9年)の日本の人口や市民生活の様子です。 この大正時代で忘れてはならないのは、第一次世界大戦が起きたことです。 1914(大正3)年から1918(大正7)年の大正初期に起こりました。 戦時中は世界的な品不足から、貿易を積極的に行った日本は好景気になりましたが、戦後は大不況に陥ります。 そのような状況の中で康保会の前身であるセツルメント浅草会館が産声をあげました。 先人たちは社会的な使命に駆られ行動し設立したものと思われます。 それは当時の写真に残されている先人たちの姿からも、感じることが出来ます。
当時は保育、夜間無料診療、夜間学校、労働者強化活動から開始しました。 それから105年の月日が経過し、現在に至るまで病院や乳児院、保育園、無料低額診療所等その時代で求められる事業を行ってきました。 先人たちのご苦労は筆舌に尽くしがたいものであったと思います。 1945(昭和20)年の終戦に伴う混乱期や高度成長時代、またバブル崩壊に伴う長いデフレ。 振り返ってみると安穏とした時代はなかったのではないでしょうか。 その中で当法人が事業を継続してこられたのは、その時々でよい人材に巡り会うことが出来た事。 その一点に絞られるのではないかと思っています。 康保会の事業に関わったすべての人がその歴史を作ったとも言い換えることが出来ます。
どの時代であっても常に挑戦し続ける精神を持ち、未知な分野を開拓していく志があったからこそ、現在まで立ち止まることなく事業を継続出来たのでしょう。 そこでは組織が人を育て、育てられた人が歴史を紡いでいく好循環があったと思っています。 一つ例を挙げますと、康保会病院時代の待合室の写真を見たとき、白黒写真ですがピカピカの床を確認することが出来ます。 何でもない一枚ですが、この精神は時代を超えて現在の当法人の施設に連綿と受け継がれています。 康保会の理念は設立当時と変わりませんが、時代に即したサービスを基本にして、常にタイムリーに行動を起こすことを大切にしていきたいと思っています。